エコツアー・ドット・ジェイピー

BACK NUMBER   この記事は2003年秋に掲載されたものです。
エコツアー写真家・西森有里が初の著作と同時に個展を開催!

緊急インタビュー

西森有里に出会うエコツアー


 日経サイエンス「旅して発見!」での執筆をはじめ、テレビ、新聞、雑誌等で活躍中のエコツアー写真家 水中写真家・西森有里のはじめての著作となる『ペンギンと泳ぐ旅─南極エコツーリズム』が去る8月29日、NTT出版から発売された。9月5日からは東京・銀座富士フォトサロンで初の写真展『南極エコツーリズム』も開催される。南極は彼女を「エコツアー写真家」として知らしめた記念碑的な取材。出版と写真展の同時実施は、彼女を新たなステージに向かわせるといっていいだろう。


 「エコツアー」という言葉をGoogleやYahooで検索したことがある人なら、常に上位に表示されるHP「写真家 西森有里の海と遊ぶエコツアー」を、一度は覗いたことがあるかもしれない。
 そこでは、ニュージーランド南島・フィヨルドランドのエコツアーが美しいスライドで叙情詩として紡がれ、「エコツーリズム」とは何かを綴ったページでは、短い行数の中でその面白さと神髄が的確に伝えられているので、まだ訪れたことがない人はぜひ一度立ち寄ってみてほしい。写真だけではなく、文章にも非凡な才能を持ち合わせた彼女に出会えるはずだ。

 彼女が歩んできた道のりも、人を魅了させるものがある。
 「1968年 福岡県生まれ。京都大学理学部生物学科卒業後、民間企業にて海の生態系に関する研究に従事する。写真家になる夢をどうしても捨てきれず、働きながら夜間で、東京綜合写真専門学校へ通う。その後、水中写真家 中村征夫氏に師事する。97年写真家としての活動を始める。エコツアー、エコツーリズムの撮影をライフワークとする。 2002年より伊豆大島在住。」

 上記はHPや今回の著作に記されたプロフィールだが、これを読むだけでも自分の理想を実現するために、大きな決断を何度も行っていることが分かる。京大出の才女が、写真家になりたい一心で専門学校に行き、会社を辞める。そこまでの決断だったら、(京大に入れるかどうかはともかく)誰でも可能だが、そう簡単に写真でメシが食えるほど、プロの世界は甘くない。
 ところが彼女は水中写真を学ぶならこの人以外にはいない巨匠・中村征夫氏の弟子になり、まだあまり知られていなかったエコツアーというテーマに出会って、プロの写真家としてマスコミに注目されるようになる。
 しかもいま一番の「売り出し中」の身であるにもかかわらず、自分の理想の生活のために、プロの写真家としてはフットワークを悪くする伊豆大島に生活の拠点を移してしまう──。常に自然体というか、自分に正直に生きている、実にうらやましい、カッコイイ生き方をしているのだ。

 行動しないことには何も始まらない。夢はあきらめちゃいけない──そんな勇気を起こさせるメッセージを彼女のHPから感じ、一度お会いしたいと願っていたところに、今回のインタビューが実現した。
 なお、HPにはアンオフィシャル・プロフィールという、彼女の経歴を補完する楽しいプロフィールが、また『ペンギンと泳ぐ旅─南極エコツーリズム』のプロローグには、それをさらに補足して南極までの経緯が詳しく書かれているが、それらの中ではまだ明らかにされていない努力家の姿がこのインタビューで知ることができた。

環境goo大賞2002の優秀賞を受賞したHP。
時間をかけ、ていねいに作り込まれている
「西森有里の海と遊ぶエコツアー」のHPを見る



南極は神々しい。ここに置いていって欲しい、ここで凍え死んでもいいと思った


西森有里インタビュー

巨大なアイスバーグに目を見張る  


OM-1をおもちゃにした子ども時代

 子どもの頃からカメラが好きで、オリンパスのOM-1をおもちゃにしていたんです。フィルムは高くて入れさせてもらえないから、ファインダーを覗いてはピントを合わせシャッターを切るだけ。それでもすごく満足していた。
 不思議なもので、誰に教わるでもなく絞りやASA感度を変えるとシャッタースピードが変わることは、子どもながらに気づいていましたね。とにかくファインダーを覗いているのが好きな子だったんです。


大学ではコンピュータで生態系をシミュレーション

 高校のときは、国語と美術と理科が好きで、文章を書く仕事か生物の研究者のどちらがいいか迷った。文章は専門的に学ばなくても書けるかもしれないけれど、研究者は学ばないとなれない。だから理科系の学校に行こうと決心したのです。
 京大へは一浪で。模試の偏差値では決して入れる成績じゃなかったから、あれはほんとまぐれなんですよ(笑)。
 学生のときは京都の出版社でバイトしていて、自分で撮った写真が旅の情報誌の京都版『るるぶ』に載ったりしました。その頃から、将来はカメラマンになりたい、本をつくりたいと思ったんです。研究職はどうも肌に合わなかった。
 卒論のテーマは数理生物。コンピュータの中に生態系をつくり、パラメータを変えるとどんな変化を遂げるかを研究するものでした。まだコンピュータが普及する前だったので、コンピュータというものに触ってみたかったんです。メカはカメラ以外は苦手なんですけどね。
 本当は、海洋生物学をやりたかったのだけれども、その先生がすごく恐い先生で、レポートなんかを遅れて出そうものならすぐ落とされそうだった。研究室に入るのもびくびくで(笑)。


中村征夫『全・東京湾』に出会う

 卒業したらカメラマンになろう。でも写真を学ぶにはお金が必要。そこでまずは就職しなくちゃと、自動車のスズキに入ったのです。バブル経済の当時、クルマメーカーはどこも省エネルギーやエコロジーについての研究をスタートさせたところだった。スズキも自由に研究してよいという新しい部署をつくり、私は海藻の研究をやらせてもらえました。
 スズキを選んだ理由は、実は夜間に通える写真学校が近くだったから。そういう意味では、着々とカメラマンになる準備をしていた。したたかだったんです(笑)。
 この頃に出会ったのが、中村征夫師匠の『全・東京湾』。写真と文章で生き物の世界が見事に表現されていた。研究者が書いたものでは、これだけ心を動かす文章にはならない。同じ生き物を扱っているのに、こんなに切り口が違うのかと。この本に出会わなかったら、今の私はなかったでしょうね。


「来週から来れるか?」──師匠の返事

 写真学校を卒業する頃には、文章の書ける写真家のアシスタントになりたいと思って職を探したのだけど、そうゆう求人はぜんぜんない。そこで思い切って師匠のところに行ったのです。でもすでに2人の助手と秘書が1人いてやんわり断られた。熱意だけでは雇ってもらえないのは分かっていましたが。
 このまま会社に居てもしょうがないし、自分の写真も撮りたい。会社では新しい上司との相性も悪かったという理由もあって、辞表を出した。水中写真家を目指すなら、ダイビングの技術をもっと磨くのが先決だと感じていたので。
 ところが会社は、辞表を受け取らずに「1年くらい休んで考えてみたら」といってくれた。休暇扱いにしてくれたんです。いまなら考えられないはからいで、ほんとにいい会社、いい時代だったんですね。
 八丈島でダイビングの練習をしながら、中村師匠には「いま、こんなことしています」という手紙を2カ月に1回くらい書いては送っていました。あきらめの悪い性格ですよね?(笑)。
 ところが3回目の手紙を書いたとき、「助手が2人やめることになる。来週から来れるか?」という返事をいただいた。さすがに興奮しましたよね。すぐさま荷物をまとめて東京に帰り、会社も正式に辞めて、晴れて師匠のアシスタントになれたというのがコトの真相です。


ホームページの制作で機材を買う

 もし、最初の訪問で師匠の助手になれたら、ダイビングの技術が未熟すぎて、途中で音を上げていたでしょう。そういう点では運がいいのかもしれない。アシスタント時代はとにかく充実した毎日で、仕事はしんどいけれど、学ぶことばかりだった。
 転機が来たのは北海道の知床での撮影。冬の撮影で海は冷たく、重い機材を運んでいるときに首を痛めてしまって、半年くらい潜れなくなってしまった。助手の仕事ができないわけです。師匠は「秘書として居てくれていいよ」と言ってくれたけど、私自身そろそろ自分の写真が撮りたくなった。結果的には穏便な独立ができたのです。
 フリーのカメラマンになっても、仕事があるわけではない。水中カメラの機材を買うには何百万円もかかる。そうした機材代や生活費は、主人と始めたホームページづくりの仕事でかせぎました。まだ、ホームページをつくれる人がそんなにいないときだったので、口コミでどんどん仕事が増えていった。私が原稿を書き、主人がページをつくるという二人三脚で仕事をしたんです。
 一方写真のほうは、3年半くらい仕事はぜんぜんなかった。雑誌社にひたすら持ち込みをしては断られる毎日。相手にされないところもいっぱいあって、落ち込んでばかりいました。
 主人には「もう写真は趣味にしたら」と言われましたが、主人がいたからこそ、写真の営業を続けられたんです。ほんといい主人ですよ。取材で1カ月いなくなっても、主人だから許してもらえると思っています。
 地球の歩き方マガジン『トラベル・フロンティア』 (ダイヤモンド・ビッグ社)に出会い、ここで仕事をしたいと思って作品を持ち込んだのが、大きな転換点。編集部の人に「エコツアーって知っていますか」と教えられ、ここではじめてプロのカメラマンとしての仕事がいただけた。そこからエコツーリズムにのめり込むようになったのです。


自らスポンサーを見つけ、仕掛ける

 南極には2001年のお正月に行ったわけですが、掲載してくれる雑誌や南極まで行く旅費を出してくれるスポンサーは、何件も自分で電話して見つけました。南極に行くにはそれなりにお金がかかり、写真家個人では負担しきれないから、「仕掛ける」ことが必要になってくるんです。
 ホームページの仕事をしていたことも、いま思うと「仕掛ける」という点では回り道ではなかった。いろんな企業の広報さんと付き合ったり、開発部門の方々と商品づくりのお手伝いをさせてもらったりしたことが、企画を考える上で貴重な経験になっていますね。

愛らしい表情を見せるアデリーペンギン  

写真展と同時に本の出版を!

 南極の写真展は、実は昨年中に開こうと思っていました。会場も決めて写真も準備して、キャプションも書いた。
 ところが、そうして準備したにも関わらず、なんかまだ自分の中で南極の世界を表現しきれていないなと。もやもやが残っているんです。それで写真展をやるのをやめて、まずは本を書こう。本ができたときに写真展を同時にやろうと決めたのです。
 でも今回も出版社は断られてばかり。それもそうです。原稿はまだ1枚もなく、写真だけを見せてこんな本が書きたい、あんな本が書きたいと言っていたのですから。最初は南極ガイドブックを書きたいとまで言っていたんですよ。1回しか行ったことがないのに(笑)。
 で、20社目くらいに訪ねたNTT出版で、そこの出版部長さんが私の写真を気に入ってくれて、「エッセイでまとめてはどうか」と提案してくださった。それで今回の出版と写真展へと向かうことができたのです。


自分の想像を超えた世界へ

 南極は絶対また行きたいところ。前回は旅が終わるのがほんとに悲しかった。マジで、このまま私を置いていってほしいと思いました。ここで凍え死んでもいいと思ったくらい。
 南極をひとことでいうと原始の世界、太古の地球……。むしろ神々しいという言葉がいちばんぴったりかな。ゴーグルをつけて、モコモコの服を着ていますから、ちょうど宇宙服を着て他の惑星に行ったような感じがします。ツアー客は周りにいるんだけど、風景の中でぽつんと一人だけ取り残されている感じになります。そこへ人間を無視したペンギンがぱたぱた走っている。へんな宇宙人がやってきたと思っているのかもしれません。とっても不思議な光景です。
 他のエコツアーでも、人がまったくいない手つかずの自然のところに行ったりするわけですが、そこではどこかに人間の気配を感じる。ところが南極にはそれがまったくない。自分の想像を超えたところなんです。
 フィルムが3本しか残らなかったから、今回は仕方なく帰ってきましたけど、今度は何百本もフィルムを抱えて3カ月くらいはいたい(笑)。そんなふうに私を魅了した南極を、私の本で、そして写真展で感じとっていただけたらいいなと願っています。



写真展は9月5日から11日まで東京銀座・富士フォトサロンで。
行くべし!

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