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イトヒロの東京不自然図鑑

<月イチ連載>

2003年10月5日up

 新宿から電車で10分。住宅地とはいえ、東京のど真ん中ともいえる世田谷にも自然があります。というより、都会でしか見られないような自然もあるのです。一般常識から言えば不自然とも思える東京の自然最前線を、お散歩がてらご紹介しましょう。

第4回「アオマツムシ」 

 今年は冷夏と残暑という異常気象だったせいか、9月になってもなかなか秋の虫の声が聞かれませんでした。いつもの年なら8月末にはさかんに鳴き出していたアオマツムシもそうです。でも、2週間ほど遅れて「チリィーリーリーリー」というせわしない鳴き声が団地に響き渡るようになりました。
 アオマツムシは樹上生活をするコオロギの仲間です。ですから、鳴き声は木の上から聞こえるのですが、その音量が半端ではありません。集団で鳴きかわし、その騒ぎは夏のあいだ夜通し耳鳴りのように鳴いていたセミの声にまさるとも劣らないものです。
 私が少年時代の田舎でも、こんなに大きな虫の声を聞いたことはありません。それもそのはず、マツムシにちょっと似たアオマツムシは日本にもともと住んでいた昆虫ではなく、中国温帯地方からやってきた帰化昆虫なのです。虫の声がこれほどの大音量で響き渡る光景は、古来我が国にはおそらくありませんでした。
 アオマツムシが輸入植物にまぎれて日本にやってきたのはおよそ100年前。東京のど真ん中、赤坂で確認されて以来、街路樹をつたいながら1980年には奥多摩にまで到達しました。今では関東以西から九州まで勢力を広げています。このように、アオマツムシはいわば都会の秋の虫なのです。
 向かうところ敵なしという感じのアオマツムシにも、過去には何度か危機がありました。それが1923年の関東大震災と第二次世界大戦の東京大空襲です。この時の火事で、東京の街路樹の多くが消失してしまいました。住みかを失ったアオマツムシは日本で絶滅の危機に瀕したのです。
 また、戦後の補給物資にまぎれて侵入した、有名な害虫のアメリカシロヒトリを駆除するために行われた大量の農薬の散布も、アオマツムシに打撃を与えました。けれども、これらの困難にも打ち勝って、アオマツムシはしぶとく勢力を拡大していったのです。
 この先どこまでアオマツムシの進軍が続くのかわかりませんが、最近になって、樹上生活をするアオマツムシが地上の草むらに降りてきつつあることが確認されました。ところが、地上には同じ仲間のコオロギ類が棲んでいます。これまで、樹上と地上という棲みわけができていた両者の間に、ニッチ(生態的地位)をめぐる争いが起こらないともかぎりません。生態系を揺るがす大事件と発展しなければいいのですが。
 都会で虫の声が聞けるのは悪いことじゃありませんが、秋の虫の声がアオマツムシの声ばかりになってしまったら淋しいですね。
 今年は冷夏のせいかアオマツムシの数も少ない感じですが、鳴き声だけでなく、一度美しい緑色の姿を見てみるのもいいですよ。これがなかなか、声はすれども見つからないんですが…。


イトヒロ:少年時代の穴蝉とり名人にして東南アジアバックパッカー経由、草野球迷三塁手のイラストレーター。著作に「不思議の国の昆虫図鑑」(凱風社)、「草野球超非公式マニュアル」(メタ・ブレーン)、「旅の虫眼鏡」(旅行人)など。雑誌「子供の科学」に「イトヒロのご近所探検隊」連載中。

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◎第1回「タヌキ」◎第2回「アブラゼミ」◎第3回「スズメバチ」◎第4回「アオマツムシ」◎第5回「クマネズミ」◎第6回「ワカケホンセイインコ」◎第7回「チカイエカ」◎第8回「ヒヨドリ」◎第9回「メジロ」◎第10回「モンシロチョウ」◎第11回「アカミミガメ」◎第12回「ヒキガエル」◎第13回「アオスジアゲハ」◎第14回「ハシブトガラス」◎第15回「セイタカアワダチソウ」イトヒロの訃報に寄せて

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